若い人間の方が動けるという現実。でも そこから自分の中で描ける物語がある

スカパー!公認番組ガイド誌『月刊スカパー!』(ぴあ株式会社発行)では、毎月旬なゲスト選手が語る「鈴木健.txtの場外乱闘」が連載されています。現在発売中の2024年8月号では、YAMATO選手が登場。誌面では惜しくも載せられなかった部分を含めたスペシャル版として、公式HPに掲載します。

YAMATOが語る自身の18年とDRAGONGATEの25年

10年前のより今の方が 自然に色気をまとえている

調べたところ、当コーナーへYAMATO選手にご登場いただくのは10年ぶりでございまして、前回はリコシェから3度目となるオープン・ザ・ドリームゲート王座戴冠直後で、神戸ワールド記念ホールでのB×Bハルク選手との防衛戦に向けてお話を聞かせていただいたというシチュエーションでした。そこでは「強い弱い以外のものを持っていなければチャンピオンは務まらない」「今の原動力はほかの人間に対する嫉妬心だ」という発言をされていたのですが、その頃と現在のご自身を比較しての変化はありますでしょうか。
YAMATO あの頃、嫉妬の対象と言ったら鷹木信悟であったりハルクだったり、あるいはCIMAであったり上の世代や同世代に対してのものだったのが、今は令和新世代と言われている6人(菊田円、吉岡勇紀、箕浦康太、Ben-K、ストロングマシーン・J、シュン・スカイウォーカー)、もっと言えばほかの若手に対しての嫉妬になっています。彼らは僕が持ち合わせていないものを持っているのに対し、僕自身は何もない人間だと思っているんですよ。
何もない?
YAMATO プロレスラーとして突出したものっていうのは、何一つ持ち合わせていない。それが自己評価なんです。でも、だからこそ、今のYAMATOができあがったと思っていて、何かを持っている人間っていうのはそれに頼るようになる。そこが伸びていくこと自体はいいんだけど、自分のように何も持ち得ていないからああしよう、これもやってみよう、こうしてみたらどうなるかって試行錯誤を重ねることができる。YAMATOっていうプロレスラーは、そうやって形になったというのが自己分析で。だから10年前と比べて自分は根本的には変わっていなくて、変わったとするなら原動力の対象の方ということになるんだと思います。今、改めて10年前のことを聞いて俺、変わってねえなあって思いましたね。
“全知全能”を掲げてきたYAMATO選手が自分のことを何もないと言ってしまうのは意外でした。
YAMATO それは、自己評価に対する裏返しなんですよ。
持ち得ていなかったからこそ、そこに自分を仕向けるような?
YAMATO そういう感じですね。
年齢もキャリアも自分より下の人間にジェラシーを持つことを、最初からスムーズに受け入れられたんですか。人によっては、なかなか認めがたいものです。
YAMATO そこは実績があった上での気持ちなんで。俺は全然ダメだ、あいつらの方がすごいからかなわないっていう嫉妬ではないんですよ。実際、ドリームゲート最多戴冠も成し遂げられているし、今年の神戸ワールドでもこの年齢になってまた挑戦するチャンスも巡ってきた。だからこのジェラシーっていうやつは一方通行の感情ではないのかもしれない。長年、築き上げてきた自信があるから…なんて表現したらいいかな、上から目線のジェラシーっていう表現で伝わりますかね。
自分という確固たるものを持っていれば、ジェラシーを抱こうがなんだろうが上回れるという。前回、話として出たのが色気に関することだったんです。当時からYAMATO選手は独自の色気をまとっていた。それは今も変わらないんですけど、年齢とともにそれに対する意識や質は変わってきたと思われますか。
YAMATO 色気ですか。思い返すと当時はなんていうか、商業的な色気だった気がします。 あの頃、韓流ブームだったんですよ。それはかわいいお姉ちゃんが歌って踊ってという方じゃなく、男性の俳優が来ていた時期で。それを見ていて、そっちにうつつを抜かしている金を持ったおばちゃんたちをどうやったらこっち側に引き寄せられるかっていう考えでナルシストを意識したんです。でも、10年経つともう自分に染みついちゃっていて、今の方が全然自然だなって思います。中には四十過ぎて何やってんだよって思う人もいるかもしれないけど、自分自身はまったくそう思わない。鏡を見たら、それは10年前と比べたら老けたなとは思いますけど、あの頃の青臭いものより今の方が色気に関してはまとえているんじゃないかって。
本来は意識してまとえるものではないので、確かに今の方が自然でしょうね。
YAMATO 若い連中の話につなげると、そういう色気を発散している人間はいないし、できないですよね。まだまだお子ちゃまだよなって。年齢を重ねていないから当たり前なんですけどね。
当時のYAMATO選手は、三十代前半でそこを意識していたわけじゃないですか。本来ならもっと熟練の年代になってからそこに価値観を見いだすもので、あの時点であそこまで色気を前面に押し出していた選手はいなかったと思われます。
YAMATO そこはあの頃も今もDRAGONGATEって、子どもたちが喜ぶことをやっているじゃないですか。子どもたちに楽しんでもらえたら、親御さんも一緒に来る。それももちろん大切だけど、僕は当時からそっちにシフトしすぎているんじゃないかって思っていたんです。それで先ほど言ったように、韓流にうつつ抜かすおばちゃんたちをターゲットにして、もうちょっと高い年齢層を引っ張ってこようと考えた。令和世代の選手たちが、どこまでそういうことを意識しているのかはわからないですけど、僕はDRAGONGATEを老若男女、年齢問わず見せたいと思っているので、その意識の違いが色気という要素につながったんだと思います。
DRAGONGATEは前身の闘龍門の設立から数えて今年で25周年、現体制になってからも20周年を迎えました。YAMATO選手はそのうち18年間在籍しているわけですが、団体としての18年をざっくりとした言葉で表すと、どんな18年に映っていますか。
YAMATO それほどの時間をかけて、ある意味できあがりましたよね。DRAGONGATE発信のものが他団体でもどんどん浸透していて「それ、ウチが最初にやったじゃん」と思うことが多々あるんです。
DRAGONGATEが形にした手法や文化という意味ですね。
YAMATO はい。その上で、今もリング上は他団体が追いつけないぐらい進化していると思うし。18年、20年、25年間常に進化し続けているのがDRAGONGATEなんじゃないかな。

プロレスへハマった時の 自分にウソをつきたくない

止まらず進化し続けるって大変なことですよね。それを証明する一つの形として、DRAGONGATEは若い選手たちの成長が早いじゃないですか。ちょっと目を離すと新しい顔が台頭し、個性を確立させて主力として活躍している。そこに秘訣のようなものはあるんでしょうか。
YAMATO チャンスはみんな平等なんですよ。そこでいい結果を出せるかどうかは個人の力量ですけど。
たとえば、入門する時点である程度将来的にどうなるかの見極めが団体としてできているとか。
YAMATO それは特にないですね。たとえば(JACKY)KAMEIっているじゃないですか。あいつなんて根暗のインキャラだったのが、去年の下半期から今年の上半期にかけては間違いなく中心人物でしたからね。KAMEIを中心にリング上が回っていくなんて、他団体だったら絶対にないですよ。僕らもそこまでやっちゃうやつだとは全然思わなかったですから。そういうのが今はゴロゴロいるんですよ。あとは、ベテラン勢の使い方がうまいんでしょうね、楽できるように。ハハハハハ。
ドン・フジイさんとか、その道のスペシャリストでしょうね。でも、使われ上手になるというのも才能だし武器ですから。
YAMATO それはありますよね、伸びていくには。
他団体も若手の台頭は昔と比べると早くなってきている感はあるんですが、DRAGONGATEならではの特長として、それぞれのキャラクターをブラッシュアップさせる速度が速い感覚なんです。
YAMATO そこは、ウチって試合数が多いじゃないですか。日々の中で必要なものを採り入れて、必要じゃないものを捨てる作業の繰り返しなんですけど、試合が多いと今日ダメだったところを修正して試す場が、すぐ持てる。
ああ、1週間後に試すよりも翌日に試合があればすぐにリカバリーできますものね。そうした変化と進化が早い中で、YAMATO選手自身も後輩にチャレンジするシチュエーションが増えてまいりました。ドリームゲート王座にしても、かつては先輩や同世代と争っていたのが、5度目の奪取はシュン・スカイウォーカー選手でしたし、今回の神戸ワールドもBen-K選手と。それによって自信の向かい方は変わりましたか。
YAMATO そこは最初のジェラシーの話につながるところですね。昔は上に対する反骨心だったのが、今は当たり前のように若い世代へ向いている。マイクとかではおまえらの高い壁になってやるというようなことを言いますけど、本心としてはこのトシで若いやつの壁に自分が向かっていくつもりでいるんで。現実として、若い人間の方が動けるわけです。自分はと言えば首が悪かったり腰が悪かったりといろいろ抱えている。そこはもうごまかせない年齢に来ている。でも、そこから自分の中で描ける物語がある。外に出しているものとは別の物語として、若いやつにジェラシーを持っているYAMATOというストーリーに自分を置くことで、奮起させています。
現実を見据えることで自身を突き動かせるのであれば、それが正解なのだと思います。団体への愛着って、周りとの人間関係によって育まれていくものですよね。18年間、DRAGONGATE一筋でやってきた中で、選手やスタッフは入れ替わっている。それでも変わらず団体愛を持てているのはなぜなんでしょうか。
YAMATO 僕らは一年を通じて、それこそ家族よりも長く一緒にいる関係にある。そうなると、本当に団体というよりもこの場が家族のようなものになるんです。先輩たちはみんな兄貴だし、後輩たちはみんな弟って自然に思える。この18年の中でやめた人たちは何人もいましたし、それを否定するつもりはないですけど、僕の場合は「家族を捨ててどこへいくの?」って率直に思ってしまうし、今のような立場になったら団体の未来を考えたり、もっと大きくしていくにはどうしようとか意識が向いたりするのが自然だと思うんですよね。それ以外にありますかね。
キャリアを重ねていく中で、自然と自分のことだけでなく全体のことも考えられるようになっていったのだと思います。
YAMATO そうでしょうね。10年前の自分は、YAMATOという男をより大きな存在にしていけばおのずとDRAGONGATEもデカくなると信じてやっていたんだと思います。でも、今はそうじゃないなっていうのは自分でわかっているというか、何をどう言ったところで中心にいるのは若い連中ですから、そんな家族のために何が必要なのかって考えますよね。それはもう、必ずしも自分が現役として頑張ることだけには限らないということもわかっていますし、DRAGONGATEのために何ができるかを考えた時に自分が退くという選択肢も、もう僕の中にはあるんで。
それを自覚した上でドリームゲート王座に挑戦する方が…なんというか、深いと思います。ある意味、真逆の意志を両立させている。
YAMATO 退くというのは極端な例ですけど。でもね、裏方に回ったYAMATOも実はすごいんですよ、フフフ。だからこそ、選択肢の一つとしては偽りなく持ち合わせられる。だけど退くことも選択できる一方で、なんでみんな年齢やキャリアを重ねたらどこかで諦めちゃうんだろうっていう思いもあるんです。僕が最初にプロレスへハマった時の気持ちは今も持ち続けていて…今のプロレスはすごく幅広いものになっているから必ずしも強くなくてもなれるし、強くなくてもうまければ成り立つ。でも、強くなりたいっていう気持ちを失ってしまったら、あの時の自分にウソついているってなるんです。今でも僕はあの頃の自分に対して「正人(YAMATOの本名)、プロレスラーってメッチャすごいんだぜ!」って言ってやりたい。そのためにも、死ぬまでなんて言ったら大ゲサになっちゃうけど強くあり続けたいし、強さを追求し続けたいんですよね。
DRAGONGATE全体のためにやるべきことの一方で、自分にウソをつかないための譲れぬ部分があると。そうした中で、これからもDRAGONGATEは大きくなっていかなければなりません。
YAMATO まだまだウチを見たことない人はいくらでもいますからね。たぶん、飛んだり跳ねたりチャラチャラしているというイメージを持っている人が多いんだと思います。だけどね、お客さんを泣かせるプロレスはウチしかできないって、心底思うんです。笑ってもらえることはできるし、怒らせるのもやろうと思えば別に難しくない。でも、人間を泣かせることって、ちょっとやそっとじゃできないんですよ。僕の言っていることに興味を持ってくれたら、DRAGONGATEへ来てください。(聞き手・鈴木健.txt)