2016年3月3日、47歳の若さで天国へと羽ばたいたハヤブサ。兼ねてから三部完結を公言していたCD「隼の唄」シリーズ最終作の「隼の唄 参」のレコーディングを終える前に不死鳥は志半ばで旅立ったのだ。
没後、 ハヤブサが自宅スタジオで録音したとされる3曲のデモ段階の未完成のボーカルトラックの断片データを、ハヤブサのハードディスクの中から奇跡的に発見。再現不可能とさえ言われていたが、コンピュータテクノロジーを駆使し、音源化に成功した。
シンガーソングレスラー・ハヤブサが企画するマンスリーライブイベント「ハヤブサと呑む」の演奏形態をそのままパッケージした音源が話題となった「隼の唄」シリーズ。今回も本人の歌と中澤矢束、村田雅和のアコースティックギター2本のみで構成されたシンプルイズベスト音源の完結編。収録されている楽曲すべてがliveではお馴染みの人気曲であり、CD化が待たれた名曲ばかりである。
不死鳥は奇跡を起こした。お楽しみは、これからだ!
1868年11月29日、熊本県八代市に生まれる。1991年5月5日、大仁田厚率いるFMWでプロレスデビュー。 メキシコ修行時代にマスクマン・ハヤブサに変身。1994年4月16日、両国国技館で開催されたスーパーJカップに出場し、新日本プロレスの獣神サンダー・ライガーを相手に驚愕の空中殺法を披露。本格凱旋となった1995年5月5日、川崎球場で大仁田の引退試合の相手を務めると共に電流爆破マッチを初経験。その後、新生FMWのエースとして華麗な空中殺法でファンを魅了した。 川崎球場や横浜アリーナといった大会場での大会を定期的に開催する一方で、その後も数多くの電流爆破マッチも経験。 他団体にも精力的に参戦し、全日本プロレスでは新崎人生とのコンビでプロレス界最古のベルトと言われるアジアタッグ王座を獲得。故・ジャイアント馬場さんのパートナーに抜擢され東京ドーム大会にも出場した。2001年10月22日、後楽園ホールでの試合中のアクシデントにより頚椎を損傷。全身不随となり生死の境をさまようが、奇跡的な回復力を見せ、短い距離を歩行出来るまでになった。車椅子生活ながら、再びリングに立つことを目指しリハビリに励み、「お楽しみは これからだ!」を合い言葉に講演会やシンガーソングライターとしてライブ、舞台出演のほか、執筆、イラスト制作やなど、幅広く活動。2016年3月3日、47歳の若さでくも膜下出血により永眠。